竹内啓 『偶然とは何か その積極的意味』 岩波書店 2010
偶然の包括的思索
本書の内容はズバリ書名の通りで、偶然とは何か。
その言葉上の定義から始まり、哲学的な意味、数理統計的な意味、社会における意味、などさまざまな側面から「偶然」の正体とその意味を論じています。
新書本ということもありひとつひとつの記述は簡潔すぎるきらいはありますが、本質的に切り込んでいるので面白いです。
確率論の本質的な意味
偶然とは何かということを踏まえた上で確率論に踏み込み、そこから「大数の法則」や「中心極限定理」あるいは統計的仮説検定などを説明しているところもあり、これはなかなかいいと思いました。統計学の教科書を読んでしまうといきなり数式の嵐で馴染みにくいですが、その本質的な意味から考えるのは有意義だなと。まぁ、これについてそこまで丁寧に書いているわけではないですが(そういう目的の本ではないですから)、確立概念に対する頻度説や主観確率なども紹介されています。
意思決定理論の限界
深く納得したのは、いわゆる確率論に立脚する意思決定の理論・手法についての記述。著者は「不確実性の下における意思決定の理論」を用いたとしても偶然に影響されることを避けられるわけではないのだ、と説きます。
例えば結果に不確実性がある行動、投資などを考えてみます。ある案件に投資をして得られる利益は50%の確率で100万円、40%の確率で300万円、10%の確率で-1000万円だとすると、得られる利益の期待値は70万円でありプラスですから投資をすることは数理的には「合理的」です(単純な金額の変わりに「効用」を用いても議論の中身は同じ)。このとき、結果の不確実性を織り込んだ上で合理的な選択をすることができているように見えます。
しかし、現実に起きる行動は70万円が確実に手に入るのではなく、あくまでも各種の結果が確率的に(いわば偶然に)決まるわけです。10%の確率で1000万円の損失を被った場合には、それだけの損失を出した上での資金繰りでなんとか事業を回していかなければならない、という事態に対処しなければなりません。選択をする段階での意思決定は合理的だったのだ、などと言っても意味がありません。
この意味で「不確実性の下における意思決定の理論」は「偶然の影響」を排除したわけではないのです。もちろん、そもそもそんなにナイーブに確率論を信奉して扱っている人はいないでしょう。それでも意思決定の理論があれば不確実性を無いものとして扱えるような勘違いが、どこかにあるような気がします。
社会・経済の中でも偶然は極めて重要な役割を果たす
人は偶然に左右されるものだ、という思索は、経済のあるべき姿というものにも関わってきます。例えば、誰かが恵まれた境遇に生まれたり、別の誰かが粗悪な環境に生まれたりするのは、偶然なのではないか。だとしたら同義的に、恵まれた者は恵まれない者を救済すべきではないか。
安易な自己責任論は、偶然による幸・不幸を各人の責任に帰してしまう点で問題があります。どこか特定の地域に自然災害があれば、それは不運によるものであり、「たまたま」不運に見舞われなかった人が援助を申し出るのは自然なことでしょう。実は自然災害だけでなくて多くの経済的な格差の要因にはそういう面があるのではないか(なんでもかんでも偶然だと言って免責するのも問題ですけど)。著者が指摘するのは、運・不運は避けることができないけれども、それによる幸・不幸は分かち合うことができるということです。この考え方は偶然というものと主体的に関わっていく上で極めて重要でしょう。
また、パンドラの箱の話ではないですが、やはり偶然による不確実な部分があるからこそ人は未来に希望を抱いたり、待ち受ける絶望に打ちのめされずに済んだりするのでしょう。そうすると本当に偶然というのは世界を構成する本質的な要素なのだなと思います。