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私の2016年

年末にしておけよ、と言われてしまうような一年の振り返りを、今、2017年の1月4日夜にしてみようと思う。
明日が仕事始めで、どこかでするとすればもう今日しかない。

そしてまた何故いまさら、更新停止状態のこのブログにその内容を書こうと思ったのかは自分でもよくわからない。
ただパソコンの中の「メモ帳」に保存するだけよりは、誰かに見てもらっているかもしれないという感じが心地いいし、Twitterに投稿してフォロワーのこの人とこの人に見られるというよりも「誰かが見ているかもしれないし、見ていないかもしれない」という感じがちょうどいいのかもしれない(多分、140字には長すぎる内容になるだろうし)。

さて。

2016年は自分の中で「小さなチャレンジ、小さなプラス」というお題目でやってみた一年だった。
仕事も2年目でまだまだ未熟。社会人としてもペースが確立できておらず、まだまだ具体的に何かを達成するという段階ではない。でも、そのような中でも何かチャレンジしてみて何か自分なりのプラスをつかんでいこうと頑張ることに意味がある。試行錯誤でいい。そういう意識だった。

仕事としてはまぁスローペースの成長ながら順当に、一年目はわからなかったことが徐々にわかるようになり、簡単な会社であれば自分で記帳から決算までできるようになり、税務調査にも立ち会わせてもらい、オーストラリア人のお客さんの対応を英語でし、年の後半に入ってきた後輩(年上)にも仕事を教えた。

何をするにも先輩に聞いてやっている自分が仕事を教えるなんてそんなことできるのかという感じだったけど、やってみると、意外と聞かれたことには論理的に答えることができて、人間いつの間にか成長しているものだな、と思った。

仕事以外では英会話教室に通い始めたり、友達と勉強会をやったり、セミナーに参加したり、専門家が集まる勉強会?のようなものに顔を出したり、家でチマチマ勉強したり、というふうにほんとにチマチマコツコツ少しずつチャレンジした。

そして自分の内向性を克服するためにも今年は人と関わるようにしようと頑張ってみた。英会話教室も、英語の勉強自体もさることながら、そっちにも力を入れた。例えばレッスンの終わりには、一緒に受けていた人に「難しかったですねー(笑)」と話しかけてみる。そういうことをあえて自分に課してみた。やってみると、それはそれで楽しかったりするもので、自分は意外と人懐っこい性格なのではないか、と自分で思ったりもした。

飲みの誘いなんかもできるだけ断らず行くようにした。飲み代が少しかかるけれど、やはり人と関わるということは何事にも代えがたいし、経験にもなる。あと、今は学生を離れたばかりで学生自体の仲間との距離が(心理的にも物理的にも)近く、そういうことができるのは今のうちぐらいだと思ったから彼らとの飲みはそういう意味で尊く感じたというのもある。これから各々が結婚をして子供を持っていけば、こうはいかないだろう。行って後悔することも多かったが、それはそれでいい。

あと英会話教室でもパーティーやらを定期的に企画していて、それにも積極的に参加した。そこで知り合った人と私的に飲み会を開いたりもして、楽しかった。自分にもこういうことが一応できるのだな、という、なんというか新鮮さもあった。

英語に関してはこれからの話として、どれだけ本気でやっていこうか迷っている。学生時代から英語は「平均的な周囲の人よりは少し得意」という中途半端なステータスで、前々から「本気でやってみればある程度身になるのではないか」という予想と言うか期待みたいなものが自分の中にくすぶっていた。人生で一度はレッスンを受けたりしてやってみたいという気持ちがあって、2016年にとうとうそれを実現したという形だ。

友達との勉強会も前々からやりたかったことで、楽しかった。法を語っているときの自分が自分でもはっきりわかるくらい活き活きしていて、友達からは引かれたけど、やはりこれはこれで自分の長所なのかなと思った。同じ職業の人でもみんながみんな同じようにこれを楽しむわけではないし。ただ、これをうまく自分の将来の収入や地位に繋げていくことができるかどうかは難しい。

論文を書いてみようかな、という気持ちもあるが、これもなかなか大変な話だ。成果が出せるかわからない。でも、いずれにせよいつかは、という気持ちはずっとどこかにある。それだったら、2017年の目標にしてみてもいいかもしれない。

人とのつながりで言えば、これまでにあまり接点がなかったが興味があった職場の人と飲みに行けたりもした。これは一種の社内政治で、その人と一緒に仕事ができたら自分の勉強になりそうだなと思っている。そんなにすぐに効果は出ていないけれど、実際ある程度仕事を振ってもらえることがあって、これまでに見たことがない世界を見ることができた。収穫だった。

あと、会社の外の人で、提携関係にあるような人たちとも飲む機会を得たりした。こういうのは、なんでも「飲みに行きましょうよ」と言ってみるものだ。実現したり実現しなかったりするが、それはそれでいいのだ。

ついでに思いつく小さなプラスを言うと、スニーカーを買ってウォーキングをしてみた。慢性的な運動不足・虚弱体質である自分にとって運動は(生死に関わる)大きな課題で、なんとかしようと思いつつもできていなかった。
2016年は何故か5月頃に急に「あったかくなってきて気持ちがいいなぁ。ウォーキングでもしたいなぁ」と思い立って、週末に1時間ほど歩いたりした。毎朝とかじゃないからすごく微々たる運動だけど、やらないよりはいい。まさに小さなプラスだ。

今まではウォーキングというもの自体がどうしても退屈で、健康のためにはやりたいけどどうにもやる気にならないという状態だった。それに対して今年は「体を動かすことがすごく気持ちがいい」という感覚を得ることができた。これが収穫だ。結局真夏に入って暑さのあまり歩こうにもすぐギブアップする状態になり、ウォーキングというもの自体が遠のいてしまって今に至るが、そういう感覚を得ることができたので今年もまた機会を見つけてやっていこうと思える。

プライベート関係で言うと、奥さんと遠くに外出できたのもよかった。初めて奥さんのおじいちゃんおばあちゃんに会うこともできたし、沖縄に夫婦で旅行にも行った。これまではそういうことができていなかったので、奥さんが喜んでくれたのならよかったなかと思う。

あと、エンタメ関係も充実していた感じがする一年だった。というのは年初にドラマの「いつ恋」にドハマりして同じ話を3回も5回も見て毎週楽しみにしていたし、逆に年末には「逃げ恥」にハマって毎週楽しみにしていた。通勤電車で「恋」をエンドレスリピートした。映画では君の名はがすごくよかったし、シンゴジラもなかなかよかった。海外ドラマで英語を勉強する目的でNetflix(定額動画見放題サービス)に契約したのだけどこれがまたよくて、英語の勉強なんて関係なく疲れた休日にアニメを見まくったりしている。とてもいい商品(サービス)だと思う。

さらにプライベートなことで言うと、春頃に奥さんと話し合いになり、お出かけとかそういうことが少ないということで奥さんはかなり苦しんでいるようだった。ちょうどその頃は業種的に忙しい時期だった(土曜の出勤が4週続いて、そうなると日曜はどうしても休みたい)という言い訳もあるが、多少なり彼女の不満を解消できるよう、それからは一緒に外出する機会が増えるよう考えた。

自分はそもそも外出が別に好きではない。もちろん全くしたくないということはないし気分次第だけど、月〜金で仕事をして土日は家で休みたいというのが基本的な気持ちだし、勉強もしたいとなると家にいるのが自然になる。そのときに奥さんが一緒に家にいて、何気ない会話をできれば、それで満足な週末になる。イベントごとをしていないからといってその週末に輝きがないとか、夫婦として幸せでないとかは思わない(奥さんがそう考えていると言っているのではない)。家で一緒にボーっとできるだけでも、尊いことだと思う。

ただそれでは奥さんが思う外出頻度の基準と著しい乖離ができてしまうらしい。ということで、自分としてはある程度一生懸命に、ときにはシンプルに映画に行き、ときにはこれまで行ったことがない場所を調べて提案してみたりした。それで彼女が満足したのかはわからない。ただ、自分としてみれば、幾分極端な言い方だけれども、平日は行きたくもない仕事に行き、休日も行きたくもない外出を必死に考えてする、という状態になった。もちろん嫌々やっても仕方がないので自分も楽しむように努力した。それでも、そうもいかない日もあった。

これに関して、ひどい夫だと非難されるならそれはもうしょうがないという気持ちもある。奥さんもそうだろうが、こちらも自分なりに、自分の過ごしたい時間を我慢して相手の希望に沿うように行動を変えている。それでダメならしょうがない。今年はもっと頑張っていかなければと思うが、それで奥さんが満足するのかどうなのかは、神のみぞ知る。

呆れるくらい長いブログだ。誰が読むのだ。やっとこさ、今年の目標に話を進めよう。

今年はキャリア的にもひとつの区切りとなる年だし、仕事で一人前になるために頑張っていかなければならない。堅実に言うなら、ちゃんとした職業人になるための勉強をきっちりやるのは一番大事だろう。なんというか、自分なりにキッチリ仕事ができるぞという自信と言うか手応えみたいなものが欲しい。実力が欲しい。実力が全てを解決する。

ただ仕事を頑張るというだけでは面白くないのでもうちょっと欲張っていくと、やりたいことは色々ある。論文を書きたいし、英語もやりたいし、宅建とか何かしら資格・検定をやりたいという気持ちもあるし、運動もしたいし、もしできたら勉強じゃない本も読んでみたい。

論文は計画的に勉強していかないと書けないだろう。そのための下準備は少しずつ、じわじわやっているが、今年どこまでいけるかわからない。そこを頑張るなら英語は犠牲にせざるを得ないだろう。逆に英語を本気でやってみるというのはひとつの手だと思うが、今はなんとなくやる気が出なくてどこまでできるかわからない。本業を頑張る年だから英語にかまけるのもどうかと思うし。ただ、職業的に英語のニーズというのは確実にあると思っていて、ある程度モノにできれば大きいと思う。なんとも言えないところだ。

宅建をやりたいのは不動産とか民法に関する理解を深めたいから。不動産はカネになる、と思う。あと保険のことも勉強したい。金持ちにありがちな話題、不動産と保険。富裕層のお客さんと付き合うためにはこの辺ついていけないとダメなのかなと思う。

運動は適度にウォーキングをやるだけでなくて、ダンベルとかもやって全身を鍛えていきたい。近年冬を越すのがギリギリになってきているので、筋肉をつけて乗り越えることができるようにしていきたい。

本は仕事に関するものも読みたいが、いわゆる教養を鍛えるような、名作文学や哲学書も読みたいと思っている。ただ、これはもう少し未来のお楽しみになるかもしれない。あと、なぜか学生時代によく読んでいたビジネス系の本とかを、実際に社会人になった今改めて読んで吸収してみたいと思う。この辺は優先順位は低いかな。

プライベート的な目標としては奥さんが楽しめるようやっていければと思うし、前提としてこれまでよりもっとちゃんと家事をやらなきゃなと思う。なんていうか、大人だし。生活のことをちゃんとやろう。

全体として言うと、ちょっと何かを達成したいし、実力を得たという実感が欲しい。達成感や手応えがほしい。2017年中にそれを得るのは難しいかもしれないが、そのための足がかりを得ていかなければいけない年のような気がする。

書きたいことは色々あるが、疲れたので、この辺で。唐突に終わります。

余談。キャリア的に区切りということで給料が上がると言われていたが、提示された昇給額が耳を疑うくらい少なくて、ゴネてみた。ゴネたらけっこー上がった。このような故事から我が家では「ゴネるは恥だが役に立つ」という名言が生まれた。

at 20:00, K, 徒然

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DNAの話

小学生か中学生の頃、新聞を読んでいたら「ウニのDNAの7割は人間と同じであることがわかった」というような記事が載っていた。

ウニって。あのウニだぞ。

ものすごいツンツンしていて、でも中身はとろっとしていて、食べるとうまい。およそ人間とは似ても似つかない。

なのにDNAが7割同じ、とな?

理系の知識がないから「DNAの7割が同じ」ということの意味は正直よくわからなかったのだけれど、なんだか生命って不思議だなぁ、という気持ちになった。

何とも言えない不思議な気持ちが残っていたので、母と顔を合わせたときに「人間とウニのDNAって7割は同じらしいよ、不思議だね」と言った。

姉と顔を合わせたときも、「人間とウニのDNAって7割は同じらしいよ、不思議だね」と言った。

その後、母と姉が顔を合わせたとき、母は姉に「人間とウニのDNAって7割は同じらしいよ、生命ってなんなんだろうね」と言った。

姉は「その話はもう弟から聞いた」と言った。

at 11:15, K, のはなし

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レット・イット・ビーの話

あれは小学校6年生の頃。

僕は読んでいた漫画の中で渋いオジサンがビートルズの「レット・イット・ビー」を聴くのを真似て、CDを買って得意気になって聴いていた。

そう、洋楽を聴くのがカッコイイという幻想に陥った状況、中二病というやつだ。

漫画には「レット・イット・ビー」というのは「なるようになる」という意味で、それが渋いオジサンの人生訓だと書いてあった。なるほど、カッコイイ。

得意気になった僕は、当然のように学校でその知識を披歴した。

「最近ビートルズ聴いてるんだけどさ。レット・イット・ビーってどういう意味か知ってる? なるようになるって意味なんだよ」

シュっとした顔で爽やかなイケメンの岸君も、僕の話を興味深く聞いてくれた。

そして、時は小学校6年生。そんなこととは無関係に、卒業アルバムの制作が進んでいた。

卒業アルバムには、将来の夢の作文を載せたり、いくつかやることがあったけど、見開きでクラスのみんなが自分のポリシーというか、モットーみたいなものを一言ずつ書く部分があった。

僕は何を書くべきか決めかねていて、記入用紙をもてあそびながら、ふと岸君に「なんて書いて出した?」と聞いた。

岸君は「なせばなる、レット・イット・ビーさ」と爽やかな笑顔で言った。

ごめん、違うよ、岸君。

 

at 17:59, K, のはなし

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ダメ人間でゴメンナサイ


社会人にならなきゃいけないと思うと本当に死にたい。家は貧乏、体も弱く劣等感を感じる


具体的な状況が同じというわけではないけど、投稿者の言いたいニュアンスはよくわかる。

自分もかつて引きこもりで、おそらく周囲の人より身体が弱くて、同じ活動をするのでも他人よりしんどさを感じていると思う。

でも、それは別に障害というものではないし、なかなか他人に理解されない。

「授業の後××行って遊んで、そのあと飲み会いこーぜ!」「今度の休み○○にある山登ろうぜ!」とか言われても、もう本当に、ただ純粋に、しんどい。で、素直にそう行って誘いを断ったりしていると、何故だか「気力がない」「めんどくさがり」みたいな扱いになっていく。

そうじゃないんだ。ただ本当にしんどいんだよ。

ただ、体力のなさを訴えたところで、世の中ではなんだかやけに説教くさい反応が返ってくる。



(1)「みんな何かしらの困難をかかえて頑張って生きている」

曰く、持病みたいなものであれ、精神的なものであれ、家庭環境的なものであれ、言い出せば誰しも何かしら困難を抱えているものだ。だけどそれを言い訳にして物事をあきめたりネガティブなことを言っても仕方ないのであって、それをどう克服して生きていくかんだ、頑張ろうぜ。

この手のお話は、基本的に正論だ。実際、ある意味ではそういうものだと思う。でも、「結局大変さはみんな同じ」とか言われたら、ほんとかよと思う。「程度の問題」を無視していると思う。

そりゃ、何かしら探せば、誰にでも困難はあるだろう。でも、それがどのくらい生きる上でのマイナスになっているか、その程度はそれぞれ違う。5のマイナスを抱えている人と50のマイナスを抱えている人がいるときに、「誰にでも困難はあるのだから」と言うことは、マイナス50の人が愚痴を漏らすことに対して何らの反論にも説得にもなっていないと思う。

周りの人間を見ていると、どうしても自分よりも体力があるし、それによって(相対的には)人生を充実させる難易度が低いように思える。普通の人なら一日にAとBをこなせるところ、自分はAをこなすだけで疲れ切っている。Bまでこなして他の人と同じレベルに立つには、困難を背負わされていると思う。

腕がないとか目が見えないとかのはっきりした障害があるわけじゃなくて頑張れば克服できるのだから、と言われればそれはそうだ。でも、だから何だ?とも思う。それは「不利である」ことに対して何らの慰めにもならない。



(2)世の中にはもっと大変な人もいる。

極端に言えば、南の国の子供たちは食べる物にも困っているんだぞとか、大学に行かせてもらえるだけで恵まれた環境だとか。これも「その通り」だけど「だからなんだよ」と思う。

自分の周囲の人が60〜80のレベルで恵まれているときに自分が50であるとして、「オマエは20の人に比べるとものすごく恵まれている」と。だからなんなんだよ?

全く同様に「世の中にはもっと恵まれている人もいる」という話もできるのであって、そのことが「私は周囲の平均的な水準に比べて知力・体力に劣るので生きづらいです」という話に何か影響を与えるものであるとは別に思えない。でも、何故かそういう言い方をすると「甘えだ」とか「言い訳だ」とか思われる空気がつらい。




…………でも、結局、認められないのはわかっている。こんなことを書いたところで、「気力のない甘えん坊が自分の情けなさに言い訳しているだけ。周りのみんなはもっと頑張っているんだ」と思われるだけ。そもそも、もしかしたら実際にそうなのかもしれないというのは自分でも思う。だから言える機会もない。

でも、そもそも体力がみんな同じなんてことはあり得ないんであって、その中で自分は低いほうだと思うんです。必ずしも無気力なせいだけじゃなくて、純粋に身体に恵まれてないからしんどいんです。と、誰も見てないようなブログでくらいつぶやきたいときもある。それだけの話。

「嘆く前に、もっと運動とかしてみたら?」って、どうして他の人がそんな苦労をしていない中で、自分がそれを背負ってやっとスタートラインなのか。その時点で不利であることをすらただ嘆くことが受け入れられないのか。

わかってますよ。ただ愚痴りたいだけ。誰も「そうだねぇ。大変だねぇ」とは言ってくれないし、結局のところ、自分もそう言われて「かわいそうな人」扱いされたいわけでもない。また明日からやりますから。結局、頑張りますから。そうするしかないですから。でもなんか世の中怖いしみんな厳しいよ。たまには素直にそう言いたいよ。

 

at 22:16, K, 考えてみる

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『現代法学入門〔第4版〕』



伊藤 正己・加藤一郎編『現代法学入門〔第4版〕』(有斐閣2005)




オーソドックスな法学教科書。
法とは何かという基礎から法の解釈適用、法の体系、各種法分野の概要や法制史などざっくりと広く網羅しています。

全体的にポイントをおさえた簡潔な説明という感じで、特に第1章、第2章のあたりは法学初学者がおさえておくべきエッセンスが詰まっている感じがします。

末川編『法学入門』とは出版レーベルも内容も値段も分量も被っていますが、どちらかといえば『法学入門』は法学を専門としない人が一般教養として、読み物として法学を自習するのに向いていて、『現代法学入門』はさらに法学を切り込んで学んでいくためのベースとして使われるべきテキスト、という印象があります。

ちなみに本書に「裁判官は、まず、事件の具体的事実関係のなかから、それに即した具体的に妥当な結論をみいだそうと務め、つぎに、そこから得られた結論を、法規からの理由づけによって正当化しようとする。(…)しかし、それを判決文にあらわすときには、あたかも法規から自動的ないしは必然的にその結論が導き出されたかのように、三段論法的な構成で記述されるのがふつうである(68-69頁)」という記述があって、そういうもんなのか、それをぶっちゃけていいのか、とちょっと新鮮でした。

at 21:21, K, 読書

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『「税務判例」を読もう! ―判決文から身につくプロの法律文章読解力』



木山泰嗣 『「税務判例」を読もう! ―判決文から身につくプロの法律文章読解力』 ぎょうせい 2014




とりあえず、税法を勉強している大学院生はつべこべ言わずに全員読めと言いたくなる良書。

判決文は法的三段論法で書かれている、狭い意味の「判例」とは最高裁の判決理由の部分だ、通達に法源性はない、解釈論で勝負しよう……等々、きちんと法律的な観点で判決を理解し読み解くために高い学費を払って大学院で叩き込まれるような重要な内容が惜しげもなくバンバン書かれていて非常に役に立ちます。

個人的に新たに勉強になったのは、事実認定は当事者主義(弁論主義)だけど、法解釈は裁判所の専権事項で、当事者が主張していないものも持ち出していいということ。そうだったのか。

そして忘れてはならないのが、 裁判は法解釈をするために行われるのではなく、個別の紛争を解決するために行われるのだという点。判例を都合良く「使う」ことばかり考えているとこのあたりを忘れてしまいそうになります。また判決文に載る「当事者の主張」は裁判所が要約したものであるため、そこに書かれていない主張でも当事者はしっかり行っている場合もあること。安易に「もっとこういう主張を押し出していれば勝てたのでは」というのはよくないですね。

ですます調で、全体的に書きぶりがすごくわかりやすいのでスラッスラ読めます。表紙もポップな感じですが、決して内容が浅い本とバカにはできないですよ。本書に書かれているようなことをみんな理解できているかというと、そうでもないと思います。

難しい言葉で書かれた本を買って結局読めずに終わる、あるいはわかったようなわからないような気分になって終わるよりは、ですます調のくだけた本だからとバカにしないで本書をしっかり読むほうがよっぽど有意義。

at 07:51, K, 読書

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『分かりやすい「民法」の授業』



木山泰嗣 『分かりやすい「民法」の授業』 光文社 2012




ラノベ民法!

短い時間でわかりやすく楽しく民法の全体像を掴めるように、という目的意識で書かれた民法の入門書。

非常にわかりやすく優れた一冊だと思います。構成としては前半と後半に分かれており、それぞれ1日目・2日目とされていて2日間の集中講義というコンセプトになっています。内容的には前半が民法の概論で、後半が架空のストーリーを使った具体的な民法の規定の解説です。

本書の醍醐味はなんといっても後半でしょう。記述がものすごくわかりやすくて、「通謀虚偽表示」「二重譲渡」「債権者代位」といった難しげな法律用語がサクサク理解できます。小説を読むようにワクワクしながらページをめくれます。

架空のストーリーも説明の都合上無機質にあつらえただけという感じではなく遊び心があり楽しく感情移入できるもので、すごく効果的です。小説になってしまっているわけではなくストーリーはあくまで一部なので語弊があるかもしれませんが、ストーリーをうまく用いる著者の工夫や本書の特徴に敬意を評して、愛称をつけるとするなら「ラノベ民法」とでも呼びたいところです。

個人的に、全体像がわかるとか民法の体系が掴めるという感触までは得られませんでしたが(以前読んだ『ゼミナール民法入門』と比べてしまい、あちらがすごすぎたのかもしれません。単純にボリュームが多いですし)、一応1日目で民法は様々な権利(義務)の発生や消滅について定めているのだなぁというコンセプトが学べて2日目で具体的な規定ということで、それなりに中身は詰まっていると思います。

何より本当に2日間で(集中すれば1日で)サラサラっと読めるわかりやすさで、難解になりがちな法律についてここまでポップに書き上げたことがすごいと思います。これ以上易しくするのは、中身を薄くする以外では難しそうに感じました。気軽に民法を勉強したい人にはお勧めできる一冊です。

at 23:39, K, 読書

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クソみたいな人間の話

自分のことをクソみたいな人間だと思っているので、誰かと会話をしているときによくそう言ってしまう。いわゆる自虐だ。

でも最近ふと、自虐ネタを言うこと自体がむしろ逆に高慢なことであるように思えてきて、自虐ネタを言わないように努力している(もっとも、自分としては普通に自らについて言及しているつもりであって自虐の自覚がない(相手の反応を見て後から気付く)からなかなか難しいのだけど)。

というのも、「俺なんてクソみたいな人間だからさ」と言われたら、大人な相手方は一応「そんなことないよ」と言わなければならない。これが相手に余計な手間をかけさせている。

相手からすれば、「そんなことないよ」もなにも、いや別にそもそもお前のこと知らないし興味ないし、という話だ。

思うに自虐ネタというのは、本当に「そんなことない」かそもそも周りに興味を持たれている存在である芸能人なり人気者なりがやるから自虐「ネタ」になるのであって、自分のように本当にただのなんでもない人間が自虐をしたところで、面白くもないし救いもない。ネタではなく面倒臭い言動にしかならない。

「俺なんてダメだからさ」と発言することは、「はぁそうなんですか? 別に興味ないけど」という本心である相手に「そんなことないよ」を強いる、図々しくて気持ちが悪いアクションなのだ。

冷静に考えればそもそも俺がダメかどうかに、誰も興味がない。そこでわざわざ自分のダメさを持ち出すこと自体が自意識過剰であり、むしろナルシストなのだ。

例えば、女性と接するときは基本的に向こうはこちらのことを気持ち悪いと思っているだろうなぁと思っている。が、その前に、そもそもこっちのことはどうでもいいだろうと思っている。

他人から見たら随分ネガティブなことを言っているように見えてしまうのかもしれないけど、別にそんなつもりはない。こう考えると妙に気楽になるし安心する自分がいる。むしろ前向きな話をしている気分ですらある。

みんな、俺のことになんか興味がない。俺がクソだろうがクソじゃなかろうが、どうだっていい。以上終わり。

at 21:43, K, のはなし

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『民法はおもしろい』



池田真朗 『民法はおもしろい』 2012 講談社




民法は市民のためのものなのだから、専門家はわかりやすくそれを伝えて市民は知らなくちゃいけないよねという問題意識の一冊。

民法のこういうところが面白いとか、従前の法学教育(ないし法律家による情報発信)にはこういう問題があるとかを指摘しています。記述は非常に読みやすいですし、なるほどなぁと楽しく読める話がふんだんに盛り込まれています。

著者のことを軽く調べてみると学者としての実績はピカイチで著作の人気も高いようで、本書に関してもAmazonのレビューでは高い評価を得ています。……ということを踏まえてあえて言うと、個人的には面白いながら若干微妙なところを感じる一冊でもありました。

というのも、「専門家はもっと市民目線で法学を伝えるべき」とか「法改正のプロセスはかくあるべし」といった話は、それ自体勉強にはなるし著者の構えにも素晴らしいものを感じるのですが、とはいえその話を民法を学ぼうとしている素人が聞いてもなぁ、というところもあるように感じたのです。それはそうと具体的に民法を教えてくれと。

本書と特に関係がない数学の『食える数学』もそうでしたが、○○学の教え方はこうであるべきだとか、そういう話を聞いたところで素人が○○学自体を学べるわけではないわけで。といって専門家向けの著作とされているわけでもなく、この本を誰が読んで何をすればいいのかが、実はよくわからないところがあるといいますか。

どちらかというと単なる素人が民法に興味を持つために読むというよりは、少し勉強している人間が読むと法の成り立ちやその読み解き方についてすごく楽しめるところがある書籍なのかもしれません。普通に民法の中身を勉強したいなら別の入門書で。

ただ上述のようなことは、どちらかと言えば表面的なことかもしれません。本書の醍醐味は専門家をくさしているようでいて、実は市民を焚き付けているところにあるようにも思えます。

法改正についての指摘などはまさに、専門家の独善性をくさしているようでいて、「おいお前ら市民が自分自身で勉強しないとどうなるかわからないぞ」と、裏のメッセージを読者に向けているようにも感じられました。勝手な読み方なのかもしれませんが、そこには著者なりの、真摯さとマナーを保ちながらの必死のメッセージが透けて見えます(僕たち専門家がみなさんに偉そうに教えるなんていうのは傲慢な話だ。大事なのはみなさんが主体的になって学ぶことなんだ。頼むからそれに気付いてくれ!)。

法律に関わる色々な立場の人が読むと、それぞれに違う角度から刺さるところがあるのかもしれません。

at 21:20, K, 読書

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『法学入門』



末川博編 『法学入門』 2014 有斐閣。




タイトル通りの法学入門書。なお中古で買ったので、自分が読んだのは最新版ではない2005年の〔第5版補訂2版〕です。

タイプとしては法学(実定法の中身ではなく法の基本的な考え方中心)を広く扱ったものです。大学の一般教養課程における法学の講義に使うことを想定して書かれているようで、法の専門家を目指そうというほどの気力がなくても構えずに読めます。社会人の法学入門にも向いていると思われます。

法とは何かあたりの概論からはじまり憲法・民法・刑法・労働法・経済法あたりの基本的な考え方もわかりやすく説明されていて、かなり読みやすいです。最近の本のようにすごくくだけてわかりやすく、という方向性ではありませんし図も出てきませんが、文章が洗練されていてなめらかで、フォーマルな内容なのに不思議とすらすら読めるという好印象のテキストです。

約250ページに18講(章のようなトピックごとの区切り)が詰め込まれていて、必然的に各講は十数ページになります。これが初学者としては集中力を切らさずに読み切れてかつそれなりに内容をわかった気になれるちょうどいい量と感じました。

終盤の労働法・経済法あたりの記述はなんだか左翼くさいなぁとも思いましたが、素人の個人的な感想です。

全体的に、さすが版を重ねている定番のテキストだという印象。値段も手ごろですし、初学者が気楽に手に取って疲れずに基礎がおさえられるいいバランスで作られているように感じます。内容は一応網羅的なので、読み終えてからもリファレンスに使えそうです。

at 23:08, K, 読書

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